仙台空港東側の北釜地区には津波の破壊力を示すかのように、
ぐにゃりと折れ曲がった街灯がそのまま残っていた。
きっと夜は人影少なく、街灯の必要性もないのだろう。
かつて灯火で照らした「人々の暮らし」は、この地に戻るかどうか不明だ。
安全な高台に住宅地を作るのは至極当然なことで、海沿いのこの地域は
今後もしばらく寂しいままかもしれない。
しかし菜の花畑が復活したら、春の名所として少しは賑やかになるはずだ。
(勝手な願いだが)ぜひ実現して欲しいと思う。
ヒコーキ百景ブログ
仙台空港東側の北釜地区には津波の破壊力を示すかのように、
ぐにゃりと折れ曲がった街灯がそのまま残っていた。
きっと夜は人影少なく、街灯の必要性もないのだろう。
かつて灯火で照らした「人々の暮らし」は、この地に戻るかどうか不明だ。
安全な高台に住宅地を作るのは至極当然なことで、海沿いのこの地域は
今後もしばらく寂しいままかもしれない。
しかし菜の花畑が復活したら、春の名所として少しは賑やかになるはずだ。
(勝手な願いだが)ぜひ実現して欲しいと思う。
菜の花畑が見つからないので、急遽展望デッキから撮影。
デッキに出ると、「あ~こんな感じだったな」と遠い記憶がよみがえります。
とは言え、海側の景観は様変わりして、まっさらな川の堤防や
奥に見える海岸堤防があるぐらいで、なんだか寂しい。
新千歳空港から飛来したNH1224便のBoeing787型機。
遠くかすむ仙台市内のビル群は、レンズ越しでも過去へタイムスリップした映像を見るかのように変わらないような気がした。
震災前と震災後の写真を見比べると、仙台空港アクセス鉄道の高架橋は
変化がないように見える。(写真中央を横断している灰色の線がアクセス鉄道)
気になったので調べてみると、高架橋のある場所は津波の浸水エリア内だが
軽微な被害で済んだようだ。
阪神淡路大震災の後に着工(2002年)しているため耐震基準が厳しいようで、
地震の震動や津波で倒壊はなく、耐震性能が証明されたようだ。
今も昔も変わらず存在する建造物があるとホット安心できますね。
およそ10年ぶりに訪れた仙台空港は、震災被害ですっかり景色が変わっていた。
建物や防風林がなくなり土の色が目立つ空港東側エリア。
黄色い重機は復興の証のように頼もしく見える。しかしまだまだ復興の道のりは長いだろう。
以前の海岸線はこんなにも防風林の緑に覆われていた。
滑走路のそばには公園もあり、撮影ポイントになっていたが、今はもう無い。
当時、近くの川でカヌー(だったかな?)の練習をする学生達を見かけたことをふと思い出した。彼らは無事なのだろうか?撮影中に立ち話した現地の人達も無事なのだろうか?
知るよしもないのだが、なんともやるせない気持ちになるのだった。
成田空港での桜の撮影が一段落ついた4月下旬。
仙台空港へ行ってきました。目的は菜の花とヒコーキの撮影です。
しかし事前に調べた限りだと空港東側に菜の花畑があるはずなのですが、、、
いくら探しても見つからず。
目に付くのは工事現場とカラフルな重機ばかりです。
せっかくなので飛行機と絡めてみました。
現地の情報だと、菜の花畑は去年で終わったらしいです。
それでも着々と復興している様子を肌で感じ、来た甲斐があったなと思いました。